猫町と中学生17(中学生と無罫ノート)。
2015年 10月 25日
少しずつ勉強も難しくなってきておりますが、なんとかかんとかやっております。
さて、今や無罫ノートで数学を解くようになった猫町ですが、使ってみての感想は、
無罫最高!
てゆうか俺もともと無罫派だし?
というわけで、横罫を使うのが苦痛になってきました。
というのも、問題集別にノートを分けており、依然としてキャンパスノート(A罫)を使う場面もあるので。
しかし。
無罫ノートを中学生にすすめるのはどうかな…と思うわけです。
いいとは分かっているのですが、耳を傾けてくれるかなと。
テストの解答用紙だって無罫だし、今から罫線なんて気にせず自由にノートを使うことができたら絶対に楽しいのは分かるのですが、100%言われるであろう言葉が猫町をためらわせます。
その言葉とは、
「真っ直ぐ書けないから嫌」
おそらくそう言われるはず。
特にドット入りの罫線に合わせて字を書くような几帳面な子は、きれいに書けないのはストレスなはず。
自分もいきなり無罫派になったわけじゃないので、中学生の頃に無罫を強制されたらかなり抵抗があっただろうなと思います。
真っ直ぐ書ける・書けないは大きな問題じゃない、というのは無罫好きの人のせりふなんですよね。
今から使う人はいきなりそうは思えないだろうなと思います。
これは大人もそうですよね。
例えば自分のノートを見せてみて、ほーらこーんなに楽しいよ、と言ってみたいのですが、それはあなたが真っ直ぐに書けるからでしょ、と冷めた言葉が返ってきそうで…
しかし、ここで無罫力というものについて考えてみたいと思うわけですが、無罫力は経験値に比例するのではないでしょうか。
使っているうちになんとなくコツが分かってくる、ということはあると思います。
先日試しに、英語や国語も無罫ノートにやってみたのですが、英語は横書きなのでともかくとして、縦書きの国語まで縦に真っ直ぐに書けることに驚きました。
自分、すごくないか?
これはもうあれですよ。
亀の甲より年の功。
倍以上生きてるからこうなっただけ!
使ってるうちにこうなるから大丈夫!
あたしゃ老人、あなたは若者!
まあこれで納得してくれたらもっと無罫ノートが幅をきかせてますわな。
一次関数な今こそ方眼ノートを!と、方眼ラブな自分は思うのです。
グラフの書きやすさ、判りやすさは他の追従を許しません。
下手するとフリーハンドでグラフを描けます。
娘にも薦めたい・・・というか強制変更させたい所ですが、返ってくる言葉が想像に容易で言い出せません。
「字 が 書 き に く い」
いや、想像とかじゃなく前に実際言われたのですが・・・
思うに、細かい目、特に縦線を無視して字を書くのにストレスを感じるのですね。
マスを使って字の大小を均一化する(タイトル4マスとか注釈1マスとか)という几帳面なノートが書けるのに・・・
無罫の自由さと対照的に思われがちな方眼ですが、慣れると普段は無視しながら必要な時に線を使う、というある意味フリーダム(もしくはカオス)な使い方が出来るのが魅力だと思います。
ああごめんなさい、久しぶりに長くなってしまいましたw
お互い、「中学生のキャンパスA罫呪縛」にモヤモヤする日はまだまだ続きそうですねw
というか最初はみんな自由帳から始めるんじゃないのか!
フリーダムに使える方眼は, 用途を選べば素晴らしいのですが, やはり数学には無罫でしょうし,
今思うとどの教科も無罫で何の問題も無いと思うのです.
確かに自分の方眼への苦手意識が松さんのコメントにつまっているような…
あの網目を無視するのがストレスなんですよ…
無罫の時はある程度同じサイズの字を書けているはずが、ひとたび方眼になった途端、あれ?もしかして自分の字の大きさってばらばら?と不安になり、気が散って気が散って…
横罫も方眼も無視することができれば大勝利なのですが…
確かに幼児期に与えられる落書き帳は無罫ですし、昔の筆記具である筆と半紙を思えばそれも無罫ですもんね。
字を真っ直ぐに書く、というのも一つの価値観に過ぎず、それに価値を見出さなければ、問題を解き、思考することこそが重要なわけで、罫線などいらないのかもしれません。