ノートがのどを鳴らせたら。
2016年 01月 14日
例えばノートが猫だとしたら、どんな使い方をすればのどをごろごろ鳴らしてくれるのでしょうか。
ノートの生き生きした使い方、というのは案外ノートに興味のない方たちの中にヒントが隠されているものです。
というのも、ノートに興味がありすぎる人々というのはしばしばノートを買いすぎてしまい、やがてノートを消費するために用途を探し始めるという本末転倒なことが起こるからです(わ た し で す)。
個人的な好みとしてはアスリートが使うノートなどが好きです。
阪神タイガースにいたマートン選手はしばしばベンチでノートに何かを書きつけていましたし、日本ハムファイターズの大谷選手や卓球の福原愛選手もイメージトレーニング等にノートを使うようなことをインタビューで語っていたように記憶しています。
相撲だと元千代の富士の九重親方が部屋の力士にノートをつけることをすすめているんですよね。
書いていないと「ノート書いてんのか!」と叱責されると何かで読んだ気がします。
普段は体を動かし、肉体を鍛えている人たちがいろいろな物事を整理するために手にするノート。
いいですね。
ノートののどもごろごろ鳴りそうです。
それがいかに汚い字で書かれていようが、表紙が曲げられていようが、砂にまみれていようがノートは幸せであるような気がします。
で、自分の部屋に散乱しているノートたちを見て考えるわけです。
はたして彼らののどはごろごろ鳴っているのか?
個人的にもっとものどがごろごろ鳴っていそうに思うのは英語日記用のキャンパスノート。
それから英語日記の下書きノート。
数学の問題集を解いているノート。
いずれも努力の跡があり、これはただのノートじゃないんだ、何よりも長い長い時間と冷や汗と脂汗がしみこんでいるんだ…という特別感。
結局は、自分の思い入れなんですよね。
ページをどれだけの文字で埋めたかではなく。
もちろんノートにもいろいろな使われ方があるでしょう。
のどを鳴らす間もなく酷使されるノートもあれば、数ページで使われなくなり、永い眠りにつかざるを得ないノートも。
でも何冊かはのどをごろごろ鳴らしてくれるノートであってほしい。
たくさんのノートたちを眠らせながら、猫町はまだこんな夢を見ています。