以前も書いたと思うのですが、
「落とし穴」というタグが好きです。
読んでいる方がどう感じておられるかは分かりませんが、書いている方はむちゃくちゃ楽しいのです。
後で読み返すのも好きで、にやにやしてしまいます。
そして最近猫町は気づいたのでした。
落とし穴があってこその文房具。
落とし穴がない文房具が理想のはずなのに、落とし穴のない文房具はつまらないのです。
物足りないのです。
落とし穴がないとその文房具をまじまじと観察しようという情熱もあれこれ考える楽しみもわいてきません。
時には笑えない落とし穴もありますが、これからも小さな事に一喜一憂しながら文房具を楽しむ所存です。
ということで、今回はマルマンの書きやすいルーズリーフパッドについて。
これは無罫のルーズリーフに夢中になっていた頃、たまみさんにいただいたものなのですが、ずっと欲しくて憧れていたパッドタイプだっただけに本当にうれしくて、少しずつ使っていました。
が、ある程度使っていくうちに気づいたことがありました。
天のりが厄介。
はがしにくかったり、きれいにはがれなかったり、はがしたリーフ同士がくっついたり。
これはマルマンのルーズリーフパッドのクオリティ云々ではないと思います。
パッドの宿命ではないでしょうか。
もちろんどこかにははがしてもまったくのりが残らない奇跡の天のり、みたいなものもあるのかもしれませんが、まあこうなるのはしかたがないと思います。
さて、ここで自分が考えるのは、「はがして使えるパッドタイプのルーズリーフ素敵」という気持ちと「天のり部分が意外とストレス」という現実を天秤にかけた時にどちらを優先するか、ということです。
そもそもなぜはがして使えるパッドタイプのルーズリーフが素敵に思えたのかについて考えてみましょう。
おそらくPP袋に入ったルーズリーフよりもかっこよく見えたり、PP袋のにちゃにちゃにルーズリーフをくっつけて痛い思いをした経験があったり、あるいはパッドというまとまった形におさまっているのがコンパクトで使いやすく思えたり、といったことだったと思います。
確かにそれらは素敵です。
単にほわほわとした素敵ではなく、これまでの具体的な経験を通じて得た価値観に照らしてリアルにいいな、と思ったのです。
が、猫町はマルマンの素晴らしいリーフが天のりのせいで犠牲になりそうなスリル(下手をすると破れるかもしれない。ちょっと破れるだけでへこんでしまう)を感じながらはがすのがとても心臓に悪いと思いました。
よって、パッドタイプのルーズリーフを使う時に夢見たあれこれを別のアイデアによって叶える方法を探すか、あるいはおとなしく普通にPP袋入りのルーズリーフを使うかの二択ではないかと思うのです。
普通に後者ですよね。
やはり文房具はこうでなくては。
落とし穴から見える世界は、落ちる前の世界よりもきらきらしています。