日記は日常に追いつけるか。
2015年 05月 28日
猫町は苦手でした。
苦手どころじゃなく、ひどいありさまでした。
(完走しなければ)(歩いてはいけない)という思いひとつでなんとなく走ってはいましたが、あれは絶対に「ちょっと休んでダッと走る」を繰り返したほうがタイムとしては速かったと思うわけです。
なぜマラソンの話をしたかといえば、あのスタートした時はクラスメイトがまだ周りにいるのに、そのうち彼らの背中がどんどん遠く小さくなっていく感じを説明したかったからです。
日記がやばいです。
3年日記も英語日記もやばいです。
本当の日付がどんどん遠ざかっていきます。
かろうじて記憶はメモに記していますが、あきれるくらい日がたつのが早いのです。
太陽とともに目覚めていると、夜はびっくりするくらい早い時間に眠くなります。
まるで健康な老人のような生活ですが、健康な老人だって毎日日記をつけている人はいるから(いや、むしろ多いかもしれない)、単に自分の要領が悪すぎるのです。
最近よく思うのが、「1日は24時間しかなく、人間はその何分の1かをどうしても眠らなくてはならない」ということです。
そしていくら便利な道具で時間を節約できても、人間の能力がスピードアップするわけではないということ。
つまり、書いたり考えたりという自分の脳ありきの営みは、やはりそれなりに時間がかかるということです。
もちろん手書きよりもキーボード入力がスピードとしては速いですが、それを考える脳自体はこれ以上加速しません。
いろいろ理屈をこねていますが、要するに3年日記と英語日記に振り落とされそうになっているという愚痴でした。
そして今の自分はまさに「ちょっと休んでダッと走る(=日記のまとめ書き)」を繰り返しています(泣)。
昨日までのメモは、時間が取れればおいおい追記していけば良いのでは。中々追いつかなくて気分的に盛り下がるようなら、とりあえず「明日を見つめて生きていく」方向で(笑)☆ (メモは残ってるんだし)
長距離は足が遅くても、とりあえずトロトロでも走り続けていればゴールに辿り着くので、嫌いではなかったです。体育苦手でしたけど。
万年筆で書く&天気と気温を書く&その日の出来事を書く、というルールを作っていましたが、
万年筆のインク切れで記録が途切れて、はてこの日は何をしていたかな?という状態です。
もう諦めて「忘れた」とだけ書いている日とかあります。
これ、翌年に見ても何も面白くないんじゃないかな…
記入するペンの縛りを無くした方が続くのかな、と思うこの頃です。むしろその時ブームのペンで書いておく方が、
「あの頃はこのペンが好きだったのねー」と後から見て面白がれるような気がします。
本当に毎日続けられる人を尊敬します。
Q太さんの激励のおかげで、そうだ、いざとなったら仕切り直しもありだ!と思うことができ、シーズン後半の弱小球団並みの借金を完済することができました。
今後も開き直って書いていきたいと思います。
自分もかなりギリギリですが、なんとか続けています。
しかし、続けているだけで内容は「今日も@@できなかった」「なんて時間がたつのが早いんだ」みたいなぼやきばかり。
来年以降の自分に申し訳ない気がしてきましたが、それでもなんとか続けていこうと思っています。
「忘れた」を防ぐためには何か1つでもその日の痕跡を書いておくといいかもしれません(ダイアリーの隅に付箋などを貼り、そこに書き殴っていくとか)。
あとは携帯電話(やスマートフォン)のメールの履歴を見ることで、その日の記憶がよみがえることも…
あと、とにさんの場合はどうも万年筆がネックになっている印象があるので、きりのいいところで「今日からは好きな筆記具で書くことにした」でいきましょう。