美文字もどきに要注意。
2015年 10月 29日
ある人から手紙をいただき、返事を書こうとその人からの手紙を鞄に入れ、出先で返事を書き出したのですが、差出人の住所が読めないのです。
(@@かなあ?それとも**か?)と思いながら(@@だろう)と信じて住所を書き、それでも不安だったので帰宅してネットで調べると**だったという…
でーい(ちゃぶ台)。
今時はスマートフォンを持っている場合が多いので、あやふやなら出先で検索できるのかもしれませんね。
スマートフォンを持っていない自分は出かける前にパソコンで検索しておくべきだったのでしょう。
でもこれはあまり愉快ではない体験でした。
一番苛々したのはそれが美文字と呼ばれるたぐいの字だったからです。
おそらく猫町の字とその人の字を比べるとその人の字の方が評価されると思うし、実際素晴らしいのですが、住所を行書もどきで書くのはいかがなものかと思うわけです。
それは美文字以前の問題ではないでしょうか。
もちろんある程度の教養があれば行書も読めるのかもしれません。
自分はそのあたりの知識がないので、そのあたりのことに関しては謙虚でいなくてはと思うわけですが、それにしては字が小さすぎました。
行書かつ小文字かつつぶれているのです。
これは美文字云々というよりも、まず宛名は読みやすく書くということと、もう少し筆記具にも気を配るべきだと思いました。
たとえばボールペンのダマは何がいけないかというと、それがつぶれたりこすれたりして字が読み取りにくくなる場合があるからです。
単に見た目が汚いという話ではありません。
もちろん美文字や行書を否定しているのではありません。
字の美しい人は貴重なので行書で書かれた手紙なんてうれしいに決まっています。
しかし宛名や差出人の住所は楷書でお願いしたいもの。
いくら今は何でも検索できるといっても、そこまでしなければならない時点でいろいろダメなのではないかと思いました。
美文字は自己満足であってはいけないと思います。
どんなに稚拙でも読み手のことを考えた字に自分は好感を持ちます。
そして筆記具はやはり正しく選んで使うべきだとあらためて思いました。
行書や草書は芸術であるかもしれないけど,
内容が重要な場合には不適切ですよね