しばしの別れ、あるいは虹の橋。
2017年 10月 10日
15年と28日生きました。
8月から食欲がなく、あれこれ工夫してきましたがどうにも元気がなく、9月の終わりに病院に連れて行くと横隔膜が破れており、胃や腸が体の前のほうに集まってしまい、肺や心臓を圧迫していました。
室内飼いなのにどうしてそういうことになったのか分かりません。
脚力が落ちていたのでジャンプに失敗して強く打ったのかもしれません。
病院に行ってからはどんどん具合が悪くなり、ほとんど食べなくなりました。
なんでもかんでも買って試しましたがダメでした。
エサの質、量、タイミングなど、ありとあらゆることを考えて手を尽くしましたがダメでした。
そしてついに水しか飲まなくなり、水も飲まなくなり、旅立っていきました。
最後の瞬間には立ち会えませんでした。
今でもそれが心残りで申し訳なく、悲しい気持ちや恨めしい気持ちでいっぱいです。
友引の前日の夕刻に亡くなったので、二晩も一緒に過ごすことができたのは幸いでした。
きっと猫町が別れに納得できるよう、十分に時間をかけてくれたのだと思います。
最後まで飼い主思いのやさしい猫でした。
9日にお別れをしてきました。
先月の9日に無事15歳になって喜んでいたのですが、ひと月後に旅立っていくことになるとは思いませんでした。
今は部屋の片隅に猫の場所を作り、写真などを飾ってみていますが、なんでこんな紙切れになってしまったのかとぼんやりしています。
素敵な写真は何枚もありますが、どれも違う気がしてなかなか1枚を選ぶことができませんでした。
全身が写ってかしこまっているものを遺影に、奇跡的に二人で並んで写っているものは手帳にはさんでおくことにします。
このブログは文房具のブログなので、大好きなペン、ぺんてるのハイブリッドテクニカと写っているものを載せておきます。
通称ロドリゲス、本名猫町ハナヲ。
長い間そばにいてくれてありがとう。
またきっと会えると信じています。
僕は動物と一緒の生活はしないのですが、先日諸事情あって金魚を飼うことになり、しかし一か月もたたずに全部亡くなってしまい、なんともやりきれない気持ちになって悲しかったです。長い期間一緒に生活している人はどんなに悲しいだろうか…と想像してたのですが、15年ともなるととても想像できないです…。なんと言っていいやら…
私も今年、15歳の愛犬が虹の橋を渡りました。
前の犬は看取ったのに、今回は見とれないことが非常に心残りでしたが、いまは「そういう犬だったな・・・」と思えています。
後悔は残りますが、やっぱり幸せな猫生だったのだろうな、と思います。
諸行無常、生あれば死あり、それも自然の流れなのでしょうね。
いまお辛いでしょうが、自然と幸せな思い出が湧き出てくることを祈ります。
つい、自分と重ねてしまい、いろいろ勝手なコメントで失礼しました…。
コメントありがとうございます。
正確には14年半ですが、自分でもびっくりするくらい長く一緒にいたのだなと思います。
猫が旅立った直後の深い悲しみは薄れましたが、今も猫を思う気持ちに変わりはありません。
ありがとうございます。
猫というのはそういうものかもしれませんが、うちの猫はストレートに感情を表現するタイプの猫ではなかったので、猫町といて幸せだったのかそうではなかったのか最後までよく分かりませんでした。
こんな飼い主ですまなかったという気持ちと、飼い主にしてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。